バレンタインでしたね。僕はもらえませんでした。悲しくありません。大丈夫です……。
こちらの記事にてこのような内容を述べたことがありました。
愛の日でした。また「あなたはライトワーカー(ライトウォーリアー)なのか?」という質問をいただいた日でもありました。
そういうものを、僕の脳内でこねくり回し書き連ねていきたいと思います。大丈夫、安全な記事ですよ、現実から乖離した地に足着いてない荒唐無稽な記事よりは。
夢見がちな理想主義的である自覚はありますが、「その程度のやつだ」と判じられるのは個人的に不満しかありません。理想は(努力や行動、自発や計画を以て)現実に落とし込んでナンボですからね。
単刀直入に言うと「3次元をまともに直視できない人間が4次元の必要性を知りもしないで盲目的に5次元アセンションを喜べるのは何故か」という点から入っていきます。
まず、この切り口が喧嘩腰である、責められているように感じる、否定的だ、信じるものを蔑ろにされている、と思われるのであれば僕とこれを読んでいるあなたは"合わない人"です。
現実を蔑ろにしてオカルトスピリチュアルをやることの危険性がわからない、ということでしょうから。
特にスピリチュアルジャンルは「疲れた心の栄養」として重要である、効果的である存在ですが"逃げ続けてダメになるためのもの"ではない、という部分を理解されていないという判断になるのです。自分を回復させる、ともに歩む、自己成長させるためのものであって「殻にこもって自分の世界だけを信じる」ためにそれを使うのは誤りです。
このような価値観と前提で進めていきます。
地球上の人類をすべて救うだとか、戦争を無くそうだとか、もう少し近いところの自殺者を減らそう、助けようだとか、実はそんな話はしません。
誰かにありがとうと言うのを忘れないとか、ご飯を食べるときに"命を殺して食べている"ことを意識するとか、自分と自分以外の人間と大自然がすべて連携して自分は今生きているんだと知ることだとか。
そういう「今すぐにできる意識へのフォーカス」から愛は作っていくことが可能で、その些細な、小さな愛や感謝が集まることで、上記の「集合的無意識」を良いほうに動かしていくことができる。
また、現代日本人はかなり"疲れていて"常日頃から誰もが余裕が無い状態です。それほど多くの人がそもそも自分自身に対して愛を向けることができていない、と証明できてしまう。
本質や根本、根幹を見ないで表層、表面的な対処をしていて何が解決するというのでしょうか。それはきっと堂々巡りになる、あるいはその場しのぎにしかなりません。
人間はたとえリスクやデメリットがあっても「現状維持」したがる、自分が変わることを避けたがるものだと脳科学的にも心理学的にも明らかになっています。
だけれども、そういうものを言い訳にしていては何もどうすることもできない、こういったフワフワした話ではないもの、現実的日常的な問題すらも解決できるわけがないんです。どこかで動いて変わっていかねばならない。能動や自発することが必要になってきます。
こういう考え方や活動の部分が「光だけではなく闇も見る」「二元論的な次元ではなくもっと高いところから俯瞰する」「人間を成長に導く、助ける」と言うことができるので、ライトワーカー的であると答えたのでした。
未知のものを怖がるのもまた人間的心理として何もおかしいことではありません。が、そういうものを突っぱねて安心安全な領域から動こうとしないのであれば「何も変えることはできない」。
占星術で言うところの"土星"、"天王星"、"冥王星"の特徴を僕はよく発露させます。
試練や制限、痛みを受けて学ぶことの土星。改革や変化のためにメスを容赦なく入れていく天王星。それらから逃げ続けた人間が最後に行きつく、死んで生まれ変わることを強制させる冥王星。
甘く優しく包むばかりでは人間は堕落するものだと、僕はよく知っています。しかし安息や憩い、療養が必要なのもわかります。
要は「バランス」なのですが、如何せん特に土星がよくでしゃばる。
人間は、愛を何か特別なもの、崇高なものだと思い込んでいるからハードルを勝手に上げているように思います。
もっと身近に、もっと小さなものからで構わないのに、何故そんな大変な大事にしてしまうのか。他者に向けるのが難しいなら自分自身に向けても構わないものなのに、何故でしょう?
アタッシュケースパンパンに詰め込んだ大金レベルで何かを為さないといけないというわけではない、「愛」はたった10円ほどの気持ちから始めることができるんです。
多くの人は、それを知らない。
さて。夜食の牛肉どんぶりが胃をいじめています。こういうときに年齢を感じるのがつらいですね。
1時間だけ記事に使う予定でして、それを過ぎようとしています。今回はここらで切り上げるとしましょうか。