得魚忘筌

仮想意識の観測によって成り立つ三次元世界の証明

発言ログ(2)

 

性善説だろうと思いたいだけの性悪説
人間というのは大変気まぐれでもある
昨日言っていたことが今日は違うなんてことは、よくある
貫徹できる人間がどれだけいると思うの


あなたは病気じゃ無い、なんてセリフは
子どもをきちんと検査させてから言いなさい
そんなことが言えてしまう親は、子どもを自分の理想に当てはめたいだけですよ


子供のプライバシーすら守らない、過干渉の親は毒親です。
子供の全てを掌握しておかないと気が済まないのはどこも子供のためではないですね。


「心配な気持ち」は、本当に相手のためなのか、自分の不安を拭い去りたいだけなのか
分別見極めがとても難しいところになる
後者は暴走しやすいし迷惑なことになりやすい。
前者は「愛」で、後者は独りよがりな我欲。


誰もが都合のいい人だけを求めてる。


どうして自殺したいと思うことが悪なんですか?
それほど追い詰めたのは周りなのに。


その人のそのことば その一言一言
その裏に、背景に、その人が何をして何を経験して何を知り何を得てきたのか
そこまで理解しようとできない、ことばを表面的、あるいは自分の世界観でそのことばをはかろうとする
ディスコミュニケーションというのは、そういうところから起きるのだと思います。

相手を知ろうとしていない、相手に興味を持とうとしない、自分の価値観で相手をラベリングしているから
相手のことばがわからない、ということはあります。
最初から自分基準でしか見ていないから、相手のことも相手のことばも、わかるわけないんです


束縛は独占欲、或いは自分の感情を相手で満たそうとする働き。
LINE即返信しないと怒りだす人とかも束縛の一種ですね
相手の都合を考えない、自分の気持ちを満たしてほしい一心で行動する人は束縛も依存も強い。
自分の感情を相手で満たそうとするから支配(コントロール)したくなるわけですね。

なんというか、「周りがカレカノ作ってて焦るから自分も欲しい」とか、そういう"心じゃなくて頭で得ようとする"とろくなことにならないと思いますよ 結婚もそう。結婚が正義なんて言うのはもう古い価値観です。
結婚が幸せの全てではありませんよ
世の中が勝手な誤解をしているだけですよ、幸せの形なんてその人本人次第ですし、周りが決めつけていいものではないですからね


「子供を愛さない親はいない」とか、闇を知らない人間の吐くセリフですよ。自分の認知しないものは存在しないという頭だ
ちなみに幼少期の両親の離婚は、その子の将来に多大な悪影響を出します。
その子がその時理解できてなくても、確実に大きな傷を残します
目の前で喧嘩する親も同じです

何も問題がないならそれに感謝すべきではあるけど、「自分は何も問題なかったからそういう闇なんか無いのだ」という前提で話をするのはダメですね。そういう人が多いですよ、外部には。
エコーチェンバー現象ってご存知ですか?

そういう界隈をのぞいてみるとわかるのですが、「悪いと思ってるけど子供を愛そうとしても愛せない」親が、結構存在します
私は子供を愛している!!と豪語する親が愛とは名ばかりの支配をし続けていることに気づいてないなんてこともよくある話


親は子供を育て切る義務がある
でも子供は安定するまで全てが親の責任になる
どちらかの押し付け合いじゃない、それは戦争のもとになる
子供は親の庇護下にあるべきだ、一人で生きていけない子供は親に守られるのが本来あるべき姿だ
大人は最悪一人で何とでもなる、子供はそうじゃない
子供は親がダメなら子供の人生もダメになる、それをダメにしない責任が親にはある。
子供のせいじゃない、子供には親の要素が遺伝する、生育環境次第でどうとでも転ぶ、すべては親次第なんだよ。子供はそれを受け継ぐだけだ
親は我が子がどんな障害者であれ本来的には愛し抜く義務がある
それができない親もいるけど罪悪感を抱えているか開き直ってるかも場合によるから一概に言えない
ただ、子供は親によって運命や人生が決められるというのは確実だよ。生まれつきのものも生まれてから受ける影響も、すべて親のものだから。

 


やろうと思わない人間が「それが見えてない」だけだし、
みんな同じことなのに自分が認知できてないだけで存在そのものが無いかのように言うんだ「知ろうとしなければ」この世は闇も少なく、何も見えず、自分は平和に過ごせるかもしれず

例えば、あなたの知っている人が何かを抱えていた時、

それでも目を逸らし続けるのだろうかと、僕は思う

自分の闇からも目を逸らし続ければ、それはやがて大きな化け物となって自身の人生を狂わせに来ます。

 

誰かを助けない、でも有益だから関係を続けていたい

それは、僕は「都合よく利用している」と感じます

特に仲良くもない関係の薄い”赤の他人”だから、助けなくてもよい?

それはそうかもしれませんね。
あなたが困った時助けてほしくても、同じ対応されることが来るかもしれません。

 

 

発言ログ。


実年齢と学歴職歴と精神性は何もイコールにならない
年齢がある程度高いからってまともな大人とも限らないし
20代はまだ子供だよ
そういうところで期待するだの身の程知らずなことをするだのをすると怪我をするんだけど
下手すればメンタルをひどく壊す
しかも30代以降になると自分の価値観こそ絶対だという、今度は頑固で融通の利かない部分が強くなってくる
いつであっても柔軟にいろんなものを取り込んで学ぶ姿勢省みる姿勢を忘れない人こそ優れた内面を持つ人間だ

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嫌いなら嫌いでいいし殺したいほど憎んでもいい
けど、それにばかりかまけていると人生を無駄に消費する
そんな奴らのために使えたはずの時間や気力や体力を回すのは非生産的すぎる
怒りを抑えるんじゃない
自分にとってそんな奴らは不要だと切り捨てることだと思うよ
シャットアウトするんだ

人間である以上完全完璧に潔白善良であることなんか無理だ
やれるならやってみろと思う
怒りも呪いも殺傷もある 心は生きているし誰もが別個体の異国人だから。

親も人間である以上不出来なところはあるし、親だから大人だから絶対正しいものなんだと思い込むのは自滅への一歩だよ
だから子供は親を疑えるだけのスキルをできるだけ身につけないとならない
親が狂ってることにも気づかないまま子供も狂っていくから。
そのわかりやすい例が「自分の親は毒親だったと気づくこと」で、
気づけたら気づけないよりもずっと変われる。そこから修正していくことができるようになる
わからないことがわからないままだとどうすればいいかも知りようがないからね。

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愛の結晶ではなく繁殖の本能からだろう
と思わなくもない、
人間は何かにつけて汚いものを綺麗に解釈、言い回す癖が根本にあるからね
汚いものを表面的に白く塗り固めるから本質が何も解決されないとずっと学ばない
汚泥のような現実から目を逸らすための便利な美談
自分の汚さから目を逸らすための思考停止

独りよがりの欲望をぶつけることは愛ではなくエゴイズムですよ
それが毒親モラハラやDVや、というものになる

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好きの反対は無関心とよく言いますからね。
特に好きでもないならそれ以上知ろうとしないのが人間です
時間や労力を割こうと思わない、そこに好意がないから無駄に思うのです。
好きの反対は無関心ですよ。
無関心ほど残酷なことはない
好きも嫌いも「エネルギー的には」同じらしいですね。
だから”無関心”が効くわけです。

人間なんて、自分にとって不都合な存在だなと思ったらそれ以上相手することなくサクッと切り捨てるものです。
どこがいけなかったのかとか何が嫌だったのかとか、どうすればよかったのかとか、教えてくれるほうが稀ですよ。
だからこそそう言うことを言ってくれる人は大事にすべきなのに…。

ameblo.jp

人間の善意なんて基本ないものだと考えるべきだと思うよ
善行を自発できる人間がどれだけいると思う?
なんの足しにもならない、それどころかリスクやデメリットを伴い得る行動をどれだけの人がやると思う?
そもそも言われなきゃ動かない人のほうが多いんじゃないかな
他人に興味ないのだし。
ごくごく少数派の可能性にかけるだけなんて
甘えもいいところだ
自分のことしか考えていないほうが多数派だしわざわざ自分の手を汚す煩わせてまで他人の世話をしようと考える人は多くないはずだよ
しかもそれが無報酬ともなれば。
そういう意味で僕は人間を信じていない。
自分のことではないだろう、リスクデメリットを冒してまで人を助けることはない、他人事だ、自分がやることではない
というこの世が僕は嫌いだ
助けて欲しいと叫ぶ声を聞いてるくせに聞いていないふりをする人間の多さを知らないんだろう

地球人は未だ知らない。

 

mackerel-a.hatenadiary.jp

 

3次元は、それより上の次元で組み上げられた”青写真״をもとに反映された事象が、質量を伴って発生しているだけである。

 

この世、我々人間が営みをなしている世界は、さらに上の次元で「こう動くようにセッティングされたもの」によって作られています。

いきなり何意味のわからないことを言うんだこのトンチキは、と思われるかもしれません。

次元は低くなるにつれ、物質的になるにつれ上から下へ流れているものがあります。

それは大きな意志の塊であり、プロンプト的でプログラム的であり。人智の外にあるものなのは確かです。

過去から未来ではなく未来から過去へ時間が流れている、と言う説もあるくらいです。こう言うふうになるように設定していこう、と画策して3次元を捏ねている高次元存在が居る。

高次元存在と言っても、アセンデッドマスターか天使か悪魔かはたまた神か、そうではないナニカかは、誰も知らないしわかりようがありません。

簡単に操作され騙されるのにそれに全く気づかない人間ぽっちが、正しく彼らを見分けられる保証はどこにもありませんからね。

なんせ、人間は地球で飼われてる側に過ぎないですから。

 

3記事めにしてフルスロットル感満載ですが、信じるも信じないも……ではあります。

僕自身こんなの嘘であってほしいと思っています、地球が奴らに都合良い廃棄場だなんて。

ただ、そうですね。僕らは彼奴等にとってエサだ。それに対しての自衛はしてほしいなあとは思うんですが、こう言う主張って届きませんしこちらが異常者扱いされるのがオチです。

もちろん友好的な存在もいますよ。いるけど、そうではないほうがひどく狡猾で利己的。

レプテリアンと言うものもあるようですが多分別物です。

 

あと、実は僕ってこう言うタイプの人なんですよね。受信するとか解るとか。

そういうものをつらつらとアウトプットしていくだけの場所です。

読むと暇つぶしくらいにはなるかもしれません。

 

僕自身も、何を言っているかよくわからないので……。

 

髪の毛を後頭部でふたつにくくった幼い女の子が、家庭内で誰かから暴力をされて泣き喚いていた

映像が、ある日流れ込んできたことがあったんですが、あれはまったく僕のものではありません。誰のものなのかもいまだにさっぱりです。

 

このはてなブログほどではないですが、過去のメルマガにて同ベクトルのお話はしていました。

よかったら覗いてみてください↓

ci-en.net

 

この地球の「愛」の事情について。

 

バレンタインでしたね。僕はもらえませんでした。悲しくありません。大丈夫です……。

 

こちらの記事にてこのような内容を述べたことがありました。

ameblo.jp

愛の日でした。また「あなたはライトワーカー(ライトウォーリアー)なのか?」という質問をいただいた日でもありました。

そういうものを、僕の脳内でこねくり回し書き連ねていきたいと思います。大丈夫、安全な記事ですよ、現実から乖離した地に足着いてない荒唐無稽な記事よりは。

夢見がちな理想主義的である自覚はありますが、「その程度のやつだ」と判じられるのは個人的に不満しかありません。理想は(努力や行動、自発や計画を以て)現実に落とし込んでナンボですからね。

 

単刀直入に言うと「3次元をまともに直視できない人間が4次元の必要性を知りもしないで盲目的に5次元アセンションを喜べるのは何故か」という点から入っていきます。

まず、この切り口が喧嘩腰である、責められているように感じる、否定的だ、信じるものを蔑ろにされている、と思われるのであれば僕とこれを読んでいるあなたは"合わない人"です。

現実を蔑ろにしてオカルトスピリチュアルをやることの危険性がわからない、ということでしょうから。

特にスピリチュアルジャンルは「疲れた心の栄養」として重要である、効果的である存在ですが"逃げ続けてダメになるためのもの"ではない、という部分を理解されていないという判断になるのです。自分を回復させる、ともに歩む、自己成長させるためのものであって「殻にこもって自分の世界だけを信じる」ためにそれを使うのは誤りです。

このような価値観と前提で進めていきます。

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地球上の人類をすべて救うだとか、戦争を無くそうだとか、もう少し近いところの自殺者を減らそう、助けようだとか、実はそんな話はしません。

誰かにありがとうと言うのを忘れないとか、ご飯を食べるときに"命を殺して食べている"ことを意識するとか、自分と自分以外の人間と大自然がすべて連携して自分は今生きているんだと知ることだとか。

そういう「今すぐにできる意識へのフォーカス」から愛は作っていくことが可能で、その些細な、小さな愛や感謝が集まることで、上記の「集合的無意識」を良いほうに動かしていくことができる。

また、現代日本人はかなり"疲れていて"常日頃から誰もが余裕が無い状態です。それほど多くの人がそもそも自分自身に対して愛を向けることができていない、と証明できてしまう。

本質や根本、根幹を見ないで表層、表面的な対処をしていて何が解決するというのでしょうか。それはきっと堂々巡りになる、あるいはその場しのぎにしかなりません。

 

人間はたとえリスクやデメリットがあっても「現状維持」したがる、自分が変わることを避けたがるものだと脳科学的にも心理学的にも明らかになっています。

だけれども、そういうものを言い訳にしていては何もどうすることもできない、こういったフワフワした話ではないもの、現実的日常的な問題すらも解決できるわけがないんです。どこかで動いて変わっていかねばならない。能動や自発することが必要になってきます。

 

こういう考え方や活動の部分が「光だけではなく闇も見る」「二元論的な次元ではなくもっと高いところから俯瞰する」「人間を成長に導く、助ける」と言うことができるので、ライトワーカー的であると答えたのでした。

 

未知のものを怖がるのもまた人間的心理として何もおかしいことではありません。が、そういうものを突っぱねて安心安全な領域から動こうとしないのであれば「何も変えることはできない」。

占星術で言うところの"土星"、"天王星"、"冥王星"の特徴を僕はよく発露させます。

試練や制限、痛みを受けて学ぶことの土星。改革や変化のためにメスを容赦なく入れていく天王星。それらから逃げ続けた人間が最後に行きつく、死んで生まれ変わることを強制させる冥王星

甘く優しく包むばかりでは人間は堕落するものだと、僕はよく知っています。しかし安息や憩い、療養が必要なのもわかります。

要は「バランス」なのですが、如何せん特に土星がよくでしゃばる。

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人間は、愛を何か特別なもの、崇高なものだと思い込んでいるからハードルを勝手に上げているように思います。

もっと身近に、もっと小さなものからで構わないのに、何故そんな大変な大事にしてしまうのか。他者に向けるのが難しいなら自分自身に向けても構わないものなのに、何故でしょう?

アタッシュケースパンパンに詰め込んだ大金レベルで何かを為さないといけないというわけではない、「愛」はたった10円ほどの気持ちから始めることができるんです。

多くの人は、それを知らない。

 

さて。夜食の牛肉どんぶりが胃をいじめています。こういうときに年齢を感じるのがつらいですね。

1時間だけ記事に使う予定でして、それを過ぎようとしています。今回はここらで切り上げるとしましょうか。

 

 

 

みなさん、初めまして。天海です。

 

それはきっと、麻酔のようなひとときなのでしょう。

 

🐟🐟🐟

 

僕は天海青一郎と言います。とある場所で活動をしている鯖です。ええ、煮るのも焼くのも美味しいあのお魚。

僕は心理学に詳しいスピリチュアリストということになっていますが、その真実性は誰も整合をとることはかないません。なぜなら、この世界は観測的意識があってはじめて、やっと仮想現実とされるからです。

 

……といったふうに、あまり意味のないものを暇な時に書きにきます。

また、このブログでは占いやオカルトも、僕の個人的な視点から取り扱っていく予定です。

ビールが美味しいだとかコーヒーを切らしただとか、人間は宇宙に実験台にされているだとか、そういうものばかりが記事を埋め尽くさんとするでしょう。

しがないおじさんの脳内垂れ流しブログ、よろしくお願いします🐟 

 

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